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永田珈琲倶楽部 
直火式自家焙煎珈琲工房の御案内

since 1966

手造りの世界
Creation by Masahiro Nagata



1.永田珈琲倶楽部が目指している  四つの柱


2.焙煎度合い
3.アニメーション:炎の舞
4.アニメーション:冷却
5.豆から焙煎まで


釜内部の温度が200度を超えます
チャフが舞い落ちるとき ほのおの舞 となります
感動します。

珈琲豆焙煎・炎の舞

 

        


 

<<直火式自家焙煎珈琲で>>

<<永田珈琲倶楽部が目指している>>
<<四つの柱>>

                                              1995年11月3日記  UP
 
 永田珈琲倶楽部は旨い珈琲を求め続けて43年の歴史を持っています。
生豆、焙煎、抽出、提供、雰囲気、どの過程でも手造りならではのこだわりを感じていただけるよう日々積み重ねています。
 私が目指す幹は
 「高品質珈琲豆⇒生豆すっきりクリーニング→直火式焙煎→芯まで煎りあげ→新鮮→香り→旨味」です。そのため特注の鉄板・直火式焙煎機で一釜、一釜念入りに煎りあげ、いつも新鮮な珈琲豆創作を求めています。

 高品質珈琲豆
まず原産国から集められた”生豆を”厳選します。それを直火式焙煎機で一釜、一釜念入りに煎りあげ、いつも新鮮な珈琲豆が提供できるようにしているわけです。 一つ一つの珈琲豆にはそもそも苦み・酸味・甘味・渋み・香りなどが一杯秘められていて、その殆どが”うまみ”を構成するわけです。この”うまみ”を引き出すのが永田珈琲倶楽部の選んだ直火式焙煎機です。
これは間接的に豆を煎りあげていく熱風式と違いまして、鉄板の網の目を通しまして火が直接豆にあたり煎りあげていくわけです。間接の
との違いは出来上がりの状態で「うまみとこく」が大きく違ってきます。
 この味を産み出す焙煎機を作る時のこだわりとしましては、コクの中にまろやかさを引き出したいために、鉄板を通常の二倍の厚さにしてもらい、の力も懐を深く、広く持ちたい為に通常の2倍多くつける等、特別に製造した焙煎機です。
 その時、その時で農産物であるが故の、微妙に変化する珈琲豆の語りかけを聞きながら、目の行き届いた手造りならではの味造りを目指しているのです。



   又、当倶楽部が常に掲げている四つの柱があります。
   それは

☆一杯の美味しい珈琲でいかにもてなすか☆

  これは美味しいと入っているところがみそです。
 一杯の珈琲だけで、美味しいを入れないでも良いのですがそうでないと、もてなしの内容が完成しません。美味しさの定義が[嗜好品]という一言で片づけられるとたいそう悲しくなります。
 そこで、具体的には長い時間をかけて多くの多くの珈琲にまとわりついている切り口の中から一つずつ、美味しくなる条件、もてなしの条件を、つぶしていかなければなりません。その切り口とは、花、椋の木々、石、クリスタル、絵、音楽、陶器、磁器、書、家具調度品、灯り、ステンド、スタンド、音、香、器具、数字、人、借景、etc.であり、しかしまだこれらはディレクトリー(幹)の段階で、その先にたくさんのファイル(枝、葉)が連なることになるのです。・・・。
 そして私なりに時間をかけながら、一杯の珈琲を美味しく飲むために実行、積み重ねているわけです。

☆たかが一杯の珈琲を
されど一杯の珈琲まで高めて行く☆

  現在、珈琲の置かれています状況はたかがの世界です。
それこそ一口一口味わいながら能書きを垂れながら飲むと言う時空間はあるようでないのが現実ではないでしょうか?
何処にでもある、内容を問わなければどんなことをしても飲める。時間が経って、腐っていようが、薄かろうが、濃かろうが、煮詰まっていようが、それが珈琲だと思っている人達が圧倒的に多い延長上にはこれからどんなに時間が経ってもたかがの世界しかありません。
そうではないんだ!と叫んだら、じゃあそれはどういうことだ?となり、具体的に見せていかなければなりません。言葉で言うのは勿論簡単です。しかしそれがたった3文字の[されど]の為に引き返すことの出来ない未知の世界へと進むことになったわけです。
そういうお膳立ての世界とでも申しますか、表現された世界への誘いと申しますか、とにかく私の役目は、具体的に行動することです。その道は果てしなく続くエンドレスの世界かも知れません。でも残念ながら、あらゆる面での個人の限界は直ぐ見えます。
千利休のように時の権力をバックにお金、人材、政治等動員できるあらゆるものを利用して時間的に凝縮した世界を創り出せれば、これ又凄いことではありますが、残念ながら凡人には まずそういう世界は訪れては来きません。私自身に与えられた能力の範囲内での高め方を目指してはいきたいと考えます。


☆時代を超えた本物の追求☆

  この言葉も格好はよいのですが、[実践となるとどんなことだ]となった時なかなか見えなかった世界でありました。やっていることが、全て本物だとは思わないにしても、その時その時においては少なくともそれに近いことだと思ってやり通してはいました。
 しかし、段々年を重ねるに従って、又多くの事を経験していくに従って、本物とはの内容をしっかり押さえないと、いつまで経っても埋められないまま、時が過ぎてしまうような気がして来ました。しかし、そうだからと言って早々その世界がわかるわけでもありません。
それは、又人生にもつながるような気がするだけに、余計難しいような気がしていました。進行している連続性の中で、色々考えても私の世界は珈琲です。この中からそれを見つけていかなければ意味が無いことも当たり前のことでした。・・・・・・・
 そして、[本物]とは短い時間の物差しで判断するのではなく長期に渡って、時代を超えて生き残っていくものではないのかと。
生き残り続けていく(継続)のはそれはそれは大変なことであります。

   この世の一見不平等な世界でも、唯一平等なものそれは寿命です。一人の人間がどんなに頑張っても限りがあります。
 そういう中にあって、限りある世界をも、時間をも超越し生き続けていくもの。いろんな考え方はあるだろうが、一面それはそれで本物ではないのかと。

 我が偉大なる珈琲は、1000年もの長きに渡って、超時代を生き続けて来て、今尚たくさんの切り口を持った不思議な世界を醸し出し、多くの人達に感銘を与えている。これが本物といわずして何が本物と言えようか。
 そういう風に考えていったとき、たかだか2、30年の短い時で能書きを垂れるという事がいかに珈琲に対して申し訳ないか。
 しかしそのたかだかの時の中で、この途方もない時の経過を大事に捉え、その”時”の重さをしっかり自分なりに考え、本物の珈琲と対峙しながら勉強するべき。
そう思うわけです。

☆珈琲は薬食同源・
生鮮飲食品であるということ☆

 いよいよ日本でも珈琲が健康食品として捉えられるようになりました。
 その前に申し述べたいことは、いつも珈琲の論議になる時、その時における豆の状態(基準)なのです。

  • 生豆の時の状態は?
  • 焙煎してからどのくらい経っているのか?
  • 挽いてからどのくらい経っているのか?
  • 焙煎度合いは?
  • 淹れ方は透過法か煮出し法か浸漬法か?
  • 香りは液体に溶け込んだときよりも挽いている時が高いのではないのか?

 等々、身体に良いか悪いかは新鮮なある限定された(古くなり腐っていないとか、脂肪分の溶けだし量とか)時間内に行われないと基準が揺らぐことになります。

『 美味しく飲めて、楽しんで、おまけに健康に良い 』
  そういう珈琲を目指します。

以上の事を永田珈琲倶楽部が珈琲を発信する時(現場&ホームページ) 常に頭の中に入れておきながら、進めていかなければならないことだと考えます。


by iribito masahiro


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