四番目の掛けボタン・抽出
煎り人の美味しい珈琲の入れ方
こだわれば
その時の豆との出会いによって
その時の入れ方があります。
【新鮮な良い珈琲豆は、お湯をそっと注いであげるだけで 】
【入れ方を案内してくれます。本当です。 】

MESSAGE
かおりと膨らみがいのちです
を目の前に致しましてさっそく始めましょう。
まずろ紙とフィルター、ポット、グラスポットを用意いたします。
- 抽出法の世界も歴史がありまして、その時代その時代にコーヒー狂いが寝食を忘れて開発研究に没頭したと思います。これからも1000年の歴史からするとほんの束の間のいっとき、一人一人がそれこそ[俺が一番だ!]などと叫びながら坩堝の中に入っていくのでしょう。しかし全ての人に平等な生命というものがあります。こればっかりはどうしようもなく、それがわかって尚、限られた中での追求をどうとらえて考えるのか。一人にとっては長くてもホントニホントニ短い時間です。私も焙煎過程のノウハウ創りの時は中途半端じゃありませんでしたので(今でも進行中ですが)この没頭する世界は非常にわかります。ホームページづくりもおなじですかね?
このページの大目標であります美味しい珈琲の為には、入れる直前まで豆のままの状態が重要な条件になります。粉にしますと表面積が広くなり空気中の水分を吸収し、早く劣化することになります。そうなるといくらうまく豆を膨らまそうとしても出来なくなります。先に空気中の水分が粉の中に浸透するからです。
用意しましたら、焙煎度合いによって違うのですがなるだけ(私はその豆が膨らむぎりぎりの低い温度プラス2〜3度位が、その時の豆の柔らかい味が出ると考えています)中煎り前後でしたら80度〜85度位がいいでしょう。(出会いの豆の表情で最終判断します。人間と同じで最初から全て同じだと決めつけてはいけないと思います。)
- 温度と時間に関して諸説紛々なのは、古い酸化した豆は低い温度では勿論、下手すると高い温度でも膨らまないからなのです。それを教科書(現場ではない)は出会いの条件が全く違うのに[温度は○○度蒸らしは何分、仕上がりは何分]と決めつけてしまうので(確かに目安は大事ですが)その膨らんで目に見える過程が理解できないまま、訳がわからなくなってしまっているのです。人間に比してみますとよくわかると思います。条件、環境 etc.一人一人違うのです。一緒には出来ません。
又、高い温度で接しますとどうしても豆と喧嘩してしまいます。グツグツ豆を煮出す状態になり強い苦みがドンと出ることになります。私は苦味でも、豆本来の苦味と、焙煎度合いの苦味とどちらも優しい苦味が出せたらと考えて焙煎しています。
粉の量は一応一人前12g〜15g位でしょうか、これは皆様の好みでその都度、その豆にあった量をお探し下さいませ。まず一人前をペーパーに入れ軽く表面を均します。フィルターにのせ、さて一投目は深呼吸をしまして、心を静かに落ちつかせそっとそっとお湯を置いて上げます。
・・・・ちょっとここまでの過程を状況表現してみましょう。・・・煎り上がった珈琲豆をしげしげとみますと、ふっくら茜色をしていましたらグッドです。それをメジャーで計るときにカラカラとスズみたいな音がすれば尚グッドです。その豆の時の、かすかな香を嗅ぐことによりましてこれから粉にする時、もっと大量の香の贈り物があるだろうと、心をときめかせることになります。そして予想通りのかぐわしい珈琲に出会った時、喜びが一段と高まってくるのです・・・。
同時進行でまずポットを温めます。 珈琲カップもゆっくりと目の前にセットし、ポットからゆったりとした気持ちでカップの中にお湯を注いでいきます。(この道すがら精神の状態をも、ある一点・空の世界へと誘っていきます)この過程を毎回繰り返すことによって、珈琲を入れるという驕った考えは無くなってしまいます。そうすることの繰り返しの中で、いろんなことを珈琲から鍛えられ、教えられているということを、ある時気付く事になるのです・・・・・・。
- そう,おいてあげるのです。この時お湯は全体に行き渡りますが、下からは一滴も落ちない様に出来れば最高です。新鮮な珈琲ですと、当たり前の事ですがその景色は簡単に出来ます。(技術ではありません。)ここで膨らみの世界の見事な光景が出現する事になるのです。珈琲は生きている!そう思われるくらい盛り上がってきます。この光景があるのと無いのとでは珈琲に対する考え方がまるで違って来ることになります。絶対必要な過程です。
十分に膨らみましたら、粉の表面が乾く直前、(その時の出会いの豆によりまして時間は特定出来ません)二投目を乗せていきます。一投目の蒸らしが十分に出来ましたら、後は自分の好みに向かってまっしぐらです。軽いのがお好きな方はどんどん。濃くのあるのが好きな方はじっくりと注いでくださいませ。それなりに珈琲豆が導いてくれます。(あくまでも珈琲に委ねて下さい)
生産からずっと、実にたくさんの方達が携わってきました珈琲の時間の流れが、たくさんのたくさんの思いを込めてこの段階でクライマックスを迎えることになるのです!。それはこれまでの「動」の流れとは違った「静」への誘いを意味します。
私は長い道程からしますと一瞬とも言えるひと時のために、終わりのないいろんな事を求めているのかも知れません。
一瞬のひとときが、何ともいえない心やすまる時を作ってくれるからです。
又、その過程での膨らみの役目は、安らぎを提供してくれるほかに蒸らし(これは大変重要です)とアクを含んだガスを上で止めてくれる事にもなります。
至福のひとときを、どうぞ。